母国、探究心、思想…“哲人”バブンスキーのパーソナリティに迫る。

 

富士山登頂を達成したダビド・バブンスキーが、6月に『Goal』のロングインタビューに応じました。元記事が非常に長いので、主にバブンスキーのコメントを抜粋してお送りします。

サッカーの話題はほとんどと言っていいほどありませんが、バブンスキーの知的な一面や彼個人の信条を垣間見ることができます。そうしたポイントに絞って見ていくことにしましょう。

夢はマケドニアのために美しいものを勝ち得ること

バブンスキー:
本を書いて、散歩して、インターネットや本に載っている面白い記事を読んでいるよ。ここポーランドではジョー・ディスペンサー(神経心理学者)の本を読んでいる。神経心理学が大好きなんだ。

マケドニアU-21代表としてU-21欧州選手権に臨んだバブンスキー。大会期間中の過ごし方について語った後は、自身の母国であるマケドニアについて次のように触れています。

バブンスキー:
これまで地球上に存在したものの中でも偉大さと強い力を持っていた王国のひとつなのに、その歴史に嫉妬する人々の思惑によって忘却の彼方へと葬られてしまっている。

マケドニア人も深いネガティブと悲観的なマインドセットによって迷い人となってしまった。メンタリティの変革が可能であることを国全体に説くことは簡単じゃないし、僕は本当に小さな頃から闘い続けているよ。僕の夢はマケドニアのために美しいものを勝ち得ることだけど、周りから聞こえてくる声は“そんなこと無理だよ”と言っているんだ。

ユーロ(欧州選手権)に出場が決まったことは、出場資格を得たこと自体よりも遥かに大きな意義をマケドニアへともたらした。国に新たな力を、そして明るい未来を築くためのベースをもたらしたんだ。フットボールを通して、僕らはポジティブな影響を人々に与えることができる。

僕は人生に対して興味と情熱が向いていた

先にも触れましたが、バブンスキー曰く彼は本を書いているそう。人間の思考において急激で深遠な変化を獲得できる可能性について説く予定だといいます。

バブンスキー:
意識をより高い次元へと拡げ、革新的な進化の次のステージへと到達させる一連のプロセスが解き明かされる。様々なトピックに疑問を投げかけていて、たとえば宗教、科学、教育、経済、政治、国家や文化のパラダイムや、社会のシステムについても問題提起しているよ。

人間の本質、思考と脳、社会的な条件付け(※筆者注:心理学用語。刺激→反応の一連の流れを指す)、潜在意識と自覚についても触れていくよ。膨大な経験と知識を蓄積しているのにもかかわらず、どうして僕らは変革を起こせず、世界に調和をもたらすことができないのか?人類は苦難を根絶できるのか?人間は条件付けから自分自身を解放することができるのか?そういったことだね。

僕らはみんな哲学者で、それがあるべき姿だった。僕らはみんな子どもと同じように興味があるだろう?僕はただ人生に対して興味と情熱が向いていたんだ。

僕たちは生まれながらに知能を与えられている。観察、想像、自己認識もしくは自意識、考える能力や知識を得る能力など、卓越した認知能力を養う限りアクセスを増大させられる内なる知恵の海…これらは啓発のための手段さ。

知的な思考は好奇心の強い思考だ。いつでも興味があって、新たな可能性にいつでもオープンであり、知識の新たな領域をいつでも探している。問いかけをして、盲目的に信じることはしない。

“神”とはどういう意味だい?

バブンスキー:
常に学び続け、決して結論付けないこと。あらゆる信条は結論の表れであって、我々の限りないキャパシティに対してしばしば鎖を繋いでしまう。敢えて言うとすれば、僕のただひとつの“信条”は、人類の潜在能力は我々の広大な想像力を超えて広がっていくということかな。

数世紀に渡って我々の思考を制御し続けてきた無知・無学が信じさせている分よりも、僕らは遥かに有能だ。これが僕のライフワークの拠り所になっているよ。

聞き手が「君の宗教観は?神を信じているかい?」と聞くと、バブンスキーは次のように返事。

バブンスキー:
“神”とはどういう意味だい?人間が作り出した、空から審判を下す権威的な存在としての神なら…大衆のコントロールを含めた宗教的な道義かな?特に強力な人間の条件付けのひとつで、今日でも多くの人々がその囚われの身となっている。

ただ、“神”というものをエネルギー、知的な宇宙のデザイン、我々が切り離すことのできない普遍的な意識としての存在であるとするなら、僕らには全く別の、かつ開かれた議論のフィールドがある。量子力学が幾千ものドアを開き、世界や僕たち自身、そして神に対する僕らの理解を完全に変える洞察を与えている領域がね。

フットボールは社会を映す手鏡

バブンスキー:
哲学は知恵への愛さ。哲学や哲学者に対してネガティブなイメージを持つ人は多いし、数世紀前には哲学者が火あぶりの刑に処されていたこともある。でも、個人的であれ専門的であれ、哲学はみんなの人生に浸透しているものなんだ。

これまでチームメイトがイジってきたこともあったけど、そこにはリスペクトと愛があった。その一方で、批判もつきものだ。この社会は、自分たちが育った環境の外側にいる人々を差別するように操られてしまっているんだよ。

僕たちが生きているこの時代は、フットボーラーが多岐にわたって社会のヒーローになり、多くの子どもたちへの写し鏡になる時代だ。フットボールが社会において活発で巨大な熱を帯びているとき、それは文化の面でも非常に重要な役割を持つことになる。フットボールは社会を映す手鏡で、その社会のモラルを明らかにするんだ。

僕ら全員に、しっかりと受け止めるべき責任がある。フットボーラー、ジャーナリスト、ファン、監督、そして機関の全員にね。だから、“社会に与えられたこの力をどう使うべきなのか?何か建設的なものに使うために、何かポジティブな影響を世界に与えるために、そして人々に価値を与えるためにはどうやって使ったらいいのか?”ということを僕は自問自答するようにしている。

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ここから先は政治的なトピックに移りますが、当ブログでは割愛。ちなみに発言の趣旨は概ね「サッカーを通して人々を啓発していきたい」ということ。気になる方は以下リンク(※英語)よりどうぞ。

http://www.goal.com/en-za/news/4563/main/2017/06/17/36423452/the-worlds-most-intelligent-footballer-ex-barca-star

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