全てを意味する3語の言葉――アンジェ・ポステコグルー

私の父、そしてモチベーター

そして、私は本当にエラースのトップチームでプレーすることになった。私はルーキーイヤーにチャンピオンシップを戦い、そして後にキャプテンとしてクラブを史上2度目の全国王者に導いた。その間ずっと、彼は私のメインドライバーで、叱咤激励を受けたものだった。

気楽なものではなかった。褒められることは少なく、全てのパフォーマンスは向上の余地があった。あまり好ましくはなかったが、そうすることで私は彼と近付くことができた。それでよかったのだ。

私は他の人ほど選手としてのキャリアを楽しめたわけではない。自分が思い描いていた高みに達することを結局許すことのなかった自分自身の能力に憤りを覚えていたし、私の憧れの存在を失望させてしまうのではないかと不安になっていた。

しかし、あるとき特別な瞬間が訪れた。それは1990年のことで、エラースはメルボルン・ナイツとの伝説的な決勝戦を制したときだった。私はPK戦でゴールを決め、我々の監督だったあの偉大なるフェレンツ・プスカシュ※と共にトロフィーを掲げる機会に恵まれたのである。

※訳者注:元ハンガリー代表FW。“マジック・マジャール”と呼ばれた1950〜54年のハンガリー代表における中心的存在で、FIFAが制定する『プスカシュ賞』にその名を残している

チームメイトと共に勝者としてフィールドを一周しているとき、当時は珍しくもなかったが、大勢人々が押し寄せてきた。そしてある瞬間、私は大きな人影に後ろから抱きつかれたのである。それは私の父だった。彼はフェンスを飛び越えてやってきた。それも55歳にして、である。私たちは喜び踊り、ピッチほどの長さを駆け抜けた。それはまるで、私たちにとっての凱旋のようなものだった。